1999 須賀川市勢要覧 「和 TAIWA」 -025/044page

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行っていました。これが松明あかしの始まりと言われています。


祭り

[四百年を機に松明太鼓が共演]

 その伊達政宗との抗戦のため、集結の場となった東の丘「十日山」で、近年まで、旧暦の10月10日に、行われていた松明あかしですが、現在は、宅地化が進んだため、川を挟んだ五老山に場所を移し、期日も新暦11月の第2土曜日と改め、催されています。

 祭りはまず、須賀川城跡の二階堂神社で祈願した白装束の若者たちが、御神火の松明をかざし、一気に五老山を目指します。また、街中では、二階堂氏をしのぶ武者行列や、10メートルもの大松明を会場まで担ぐ大行列などが、祭りの序盤を盛り上げます。

 クライマックスは夜。五老山山頂の御神火台に火がともされると、それを合図に大松明や仕掛け松明など、大小合わせ、30本余りの松明に、一斉に火が放たれます。そして、全山、晩秋の夜空を焦がす火の海と化し、一大戦国絵巻が繰り広げられます。

 日本三大火祭りの一つであるこの松明あかしは、「松明をもりたてる会」をはじめとする様々な市民団体で実行委員会を組織し開催される、文字どおり市民総ぐるみの一大イベントです。

 さらに、須賀川城落城から4百年目を迎えた平成元年には、「松明太鼓」が創作されました。以来、松明太鼓は、「炎と音の共演」という新しい魅力を演出。松明あかしの勇壮さをなお一層盛り上げ、訪れる人々の心を魅了してやみません。


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