須賀川市人物読本 先人のあしあと -003/134page

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 「これが、西洋の銅(どう)版画というものだ。ほかでもない。おまえをここによんだのは、この銅版画の技法を学びとってほしいからだ。」といいました。

 田善は、このときはじめて西洋の版画を見ました。細かい線で、本物そっくりにえがかれているのに、びっくりしてしまいました。田善は、ただ頭をさげ、銅版画をじっと見つめていました。

 とのさまは、すぐに司馬江漢(しばこうかん)先生をしょうかいしてくれました。司馬江漢は、銅版画ばかりか油絵もかき、また外国のようすや地理をしょうかいするなど、西洋のことがらに強い関心(かんしん)をもっていた画家でした。とりわけ銅版画については、「自分こそが、わが国で最初に銅版画の制作に成功した人物だ」と、じまんしていました。

 田善は、江漢先生の手ほどきを、すこしの間うけました。しかし先生は、田善という人があまり好(す)きではありません。江戸っ子の江漢が、はやロでいろいろたずねても、いなか者の田善は、だまったままなかなか答えません。江漢は、いつ


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