須賀川市人物読本 先人のあしあと -004/134page
もいらだち、
「なにをやるにもぐずで、上達(じようたつ)のおそいやつだ」
と、口にまで出して田善をののしったのです。
江漢(こうかん)先生のもとをはなれた田善は、オランダ語を学んでいた友人たちの助けをかりました。そして江漢に負けないよう、けんめいに努カしました。その結果、田善は江戸にきて数年のうちに、銅版画の技術を学びとってしまったのです。
銅版画とは、銅の板を針でひっかいて図をかき、その部分だけ薬(くすり)でくさらせ、インクをぬって紙に印刷(いんさつ)したものです。田善は、銅版画の研究にふかく入りこんでは、
「それにしても銅版画は、なんと正確(せいかく)にものをあらわすことができるのだ。わかるにつれ、いっそうおもしろくなる。」と、つぶやきました。田善の銅版画を見る人たちは、
「すばらしい」と口をそろえていいました。松平のとのさまも、