須賀川市人物読本 先人のあしあと -005/134page

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 「まるでオランダから買った版画のようだ」と、ほめました。

 そのころ、宇田川玄真(うたがわげんしん)というオランダ医学者がいました。オランダ学者のあいだで、玄真を知らない人はいませんでした。玄真は、オランダの医学書をほん訳し『医範提技綱(いはんていこう)』という大切な本を出ばんしました。

 しかし、この本には、人間の体を切り開いて図にした解剖図(かいぼうず)がありませんでした。

 玄真は、解剖図をつくるため、田善を自分の家によびました。その夜、田善はよくねむれませんでした。江戸のオランダ学者のなかまに加(くわ)わることは、とてもうれしかったからです。

 田善が目をさましたのは、昼ちかくでした。いそいでしたくをすると、すぐに出かけました。その日は、とても暑い日で、田善はなんども、ひたいや首のあせをふきました。子どもをつれたお母さんも、みんなあせをふきふき歩いていまし


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