須賀川市人物読本 先人のあしあと -011/134page
その後、田善は解剖図の制作(せいさく)に打ちこみ、全部で五十二図を、みごとに完成させました。玄真は、そのできばえにたいへん満足(まんぞく)し、次の文章を書きのこしています。
「この銅版画は、東北人である亜欧堂田善先生によってつくられた。先生は、オランダの絵ばかりか、銅版画にもくわしく、わが国において、先生の技術は、だれよりもすぐれている。
いま、オランダの銅版画と、先生の銅版画とくらべてみても、どちらがすばらしいか、決めるのはたいへんむずかしい。
まさに、わが国最初の銅版画による解剖図としてふさわしいものである。」
こうして、田善のさし絵をつけた『医範提綱』は、江戸時代の医学を学ぶ人たちのあいだで、広く読まれ、明治にいたるまで、なんかいも出版されたのです。