須賀川市人物読本 先人のあしあと -014/134page
ありました。
少女時代のたよ女は、こうふくな家庭に育ちました。また、とのさまにもよばれて、ぎょうぎ作法やさまざまな勉強にもはげんだかしこい少女でした。ところが、分家をついだ四番目の兄さんが若いうちに亡(な)くなったので、末の妹であるたよ女がつぐことになりました。
たよ女は、会津若松から有網(ありつな)というおむこさんをむかえました。有網は、家業のちりめん問屋や大庄屋の仕事を一生けん命する働き者でした。たよ女は、良い夫と三人の子どもにめぐまれ、幸せにくらしていました。
幸せにくらしていたたよ女に、たいへん悲しいことが起こりました。それは夫の有網がふとした病気で、とつぜん亡(な)くなってしまったのです。たよ女が三十一才のときのことでした。
たよ女は、三人の幼(おさな)い子どもを育てながら家業の問屋をきりもりしなければなりませんでした。しかも、三人目の子は、まだ乳(ち)のみ子でした。そのために、苦