須賀川市人物読本 先人のあしあと -015/134page
労が重なって、病気になってしまいました。
それをたいへん心配した、一番上のお兄さんは、近所の俳人・石井雨考(うこう)(この人は、「世の人の見つけぬ花や軒(のき)のくり」の句碑を建てた人として有名です)に相談しました。雨考は、たよ女に俳句の道に入ることをすすめました。たよ女は有名な、江戸の鈴木道彦(すずきみちひこ)という人の弟子(でし)になりました。
たよ女が俳句の道に入ったのは、三十一才のときでしたから、おそい入門でした。しかし、たよ女は、俳句の道に入ることによって、明るく健康な生活をとりもどし、熱心に俳句にとりくみました。
たよ女は、家業の仕事に打ち込みながら、俳句の勉強をするわけですから、そうとうの努カと根性(こんじょう)が必要でした。さらに、たよ女は、家庭の主婦(しゅふ)としての責任もありました。そのため、なかなか家をはなれることができず、旅らしい旅に行くこともできませんでした。
たよ女の俳句が、はじめて句集にあらわれたのは、三十六才のときでしたが、