須賀川市人物読本 先人のあしあと -016/134page

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そのときから現在まで記録できる句数は、四千あまり、俳諧(かい)の連歌は、長短六十へんあまりで、おどろくほどの作品を残しています。『浅香市集』(あさかいちしゅう)はその代表の一つです。

 たよ女が長い間希望していた、「江戸上(のぼ)り」が実現(じつげん)したのは、四十八才のときでした。そのときの記録を『すががさ日記』として、残しています。これは、たよ女の長い一生のうちで、ただ一つの紀行文(きこうぶん)でした。それにちょっとふれてみましょう。

大田原(おおたわら)のやどりはいとつかれて句なし。明(あく)れば
那須(なす)のはらにかかる。二荒(ふたら)高はらなど聞(きこ)ゆる大(おお)
岳(だけ)西にそばたち、よもぎすすきの枯(か)れふしたる
さまはいとものすごきけしきなりけり
春浅し風は西ふく四五十里


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