須賀川市人物読本 先人のあしあと -017/134page

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<現代語訳(げんだいごやく)>
 その夜は大田原(栃木県)の宿(やど)にとまりましたが、たいへんつかれてしまい、俳句はできませんでした。次の日は、那須野(なすの)が原にむかい歩いていきました。やがて二荒(ふたら)高原などとよばれている山が、西の方に高くそびえたっていました。あたり一面によもぎやすすきがかれ果(は)てているようすは、それはそれはものすごくあれ果(は)てた風景でした。
(俳句) 早春の野の一面に西風がふきわたり、四、五十里の遠くまでゆきわたっているようすです。

 いまでこそ、東京へ行くのはかんたんですが、たよ女のころは、たいへんな旅行でした。四十八才になった女性のひとり旅は、現代の人が外国へ旅するより、もっともっとたいへんなことでした。たよ女の向学心(こうがくしん)の強さが、そのことからもわかります。

 たよ女の旅は、順調(じゅんちょう)にいきました。一月二十五日に須賀川をたって、九日めの


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