須賀川市人物読本 先人のあしあと -028/134page
むことがわかりました。これを種痘(予防接種)といいます。
この予防接種を、県内でいち早くおこなったのが江藤長俊です。長俊は文化十1年(一八一四年)に、市内大字市野関で生まれ五十六才でなくなりました。先租は、須賀川のとのさま二階堂氏(にかいどうし)の家来でしたが伊達政宗(だてまさむね)との戦いにやぶれ落城(らくじょう)したので、市野関に住みついて百姓になりました。
長俊のお父さんは漢方のお医者さんでしたが三十三才の若さでなくなりました。この時、長俊や弟、妹達六人が残されました。お母さんは、貧しさに負けず苦労して、りっばに育てたので奉行所(ぶぎょうしょ)(役所)から感心な母として表彰(ひょうしょう)されました。
長俊は医者の家をつぐため、十七才で江戸(東京)にゆき、大槻俊斎(おおつきしゅんさい)のじゅくで西洋(オランダ)の医学を学びました。そのころは、西洋医学のほうがすぐれていましたが、まだまだ漢方医(中国の医学)が多かったころです。長俊はこのあと長崎にも行き、シーボルト(オランダ商館の医者、いろいろな学問にすぐれ