須賀川市人物読本 先人のあしあと -029/134page

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ていたドイツ人)が開いたじゅくで西洋の医学を研究しました。江戸と長崎で勉強しているとき、シーボルトに直接学(まな)んだ高野長英(ちょうえい)(岩手県水沢市生まれ・医者)と友だちになりました。

 やがて、長俊は村に帰り医院を開きました。長俊のおこなった種痘は、二本松市の医者だった小此木間雅(おこのぎかんが)とならんで、福島県でさいしょといわれています。

 おそろしい病気を防ぐことができるので棚倉や白河など遠くからもたくさんの子どもが、種痘を受けにきました。

 また長俊は、そのころめずらしい電気治療 (ちりょう)

イラスト


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