須賀川市人物読本 先人のあしあと -032/134page

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義に早くから目ざめた人々は、国会開会にそなえて自由党をつくりました。

 たまたま、会津三方道路をつくる計画をめぐって、県令(けんれい)(県知事)と県議会がしょうとつする事件が、明治十五年(一八八二年)におこりました。ひどい計画だったので自由党を中心に多くの人びとが、反対運動をおこしました。この運動で自由党はきびしくおさえつけられました。

 河野広中をはじめ多くの自由党の人々がろうやに入れられました。長安も警察につかまえられそうになりましたが、さわぎがおさまるまで何か月もにげきり、ついにつかまらずにすみました。

 長安の家の生活は苦しかったのですが、ろうやに入れられた河野や石陽社の人々の家族の世話をしたり、同じ運動をしていた人たちとのれんらくにはしりまわりました。

 また長安は、めずらしいほど気がるにだれとでも仲良しになり、病人がいると遠くまで歩いて、おうしんにでかけました。お金をとらないことも、ずいぶんあ


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