須賀川市人物読本 先人のあしあと -033/134page

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りました。お酒が好きでかんじゃの家でごちそうになり、はだか馬で送られてきたこともあったそうです。

 かんごくから出た河野は、明治二十三年(一八九〇年)の第一回衆議院議員選挙(しゅうぎいんぎいんせんきょ)から、大正十二年(一九二三年)になくなるまでいつも最高点で当選しています。このあいだ長安と子供の健雄(たけお)は、この地方の選挙責任者(せきにんしゃ)となって応援(おうえん)しつづけました。また長安は、医院を教室にして村の子どもたちを集め、勉強やいろいろなことを教えました。

 長安は生きているうちから自分がなくなったときの名前をきめておき、河野に書いてもらっていました。大きなお墓には「自由院豊酒長安医居士(じゆういんほうしゅちょうあんいこじ)」と書かれています。自由の文字に注目して長安の生き方を考えてみましょう。


 長安の長男が健雄です。健雄は明治十年(一八七七年)に生まれ、昭和十年(一九三五年)になくなった人です。千葉医学専門学校(ちばいがくせんもんがっこう)を卒業して、医者の家をつぎ


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