須賀川市人物読本 先人のあしあと -034/134page

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ましたがあとで、医院を市内大字小作田にうつして幽蘭堂(ゆうらんどう)医院と名づけました。おじいさんの長俊からこの地方の蘭方医(らんぼうい)のさきがけという意味です。

 健雄はお医者さんでしたが、三十才のとき石川郡会議長にえらばれ、地方自治や、地方産業がさかんになるよう活やくしました。

 昔は、小作田から和田へ行くのには、阿武隈川を船でわたっていたので大そうふべんでした。そのため橋をかけてべんりになるように、いっしょうけんめいカをそそぎました。

 また、村の人達があまり米がとれずこまっていたので、山形県から「亀ノ尾」という寒

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