須賀川市人物読本 先人のあしあと -035/134page

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さに強いしゅるいの米のたねをもってきました。市野関で試(ため)しにつくったら成功したので、まわりの村々にさいばいをひろめました。また土の研究、肥料(ひりょう)の発明、病害虫の防ぎ方などを教えて村の産業をさかんにしようとしました。さらに健雄は先祖の万力正勝(まんりきまさかつ)が伊達政宗(だてまさむね)と戦うとき、たてこもったといわれる館跡(たてあと)を公園にして、万力山(まんりきざん)公園と名づけました。きれいにさつきやかえで、さくらを植え、売店をつくり自由に村の人々を遊ばせました。まわりの村むらの小学校の遠足(えんそく)は、万力山公園に行ったものです。

 小作田にあった川東小学校に、青年を集め勉強も教えました。このようにして健雄は地域の産業や文化の向上に、大きく力をつくしたのです。自分でも「磐水(ばんすい)」と名のってたくさんの俳句をつくり、俳句の本「栗の花」を出しつづけました。

 今、万力山公園のあとには健雄の大きな石像がたっています。


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