須賀川市人物読本 先人のあしあと -037/134page
安積疏水(あさかそすい)と小林久敬(こばやしひさたか)
小林久敬は文政(ぶんせい)四年(一八二一年)須賀川に生まれました。このころの須賀川は、奥州(おうしゅう)街道の宿場として発展していました。久敬の家は、この街道(かいどう)にそって運送の仕事をしていました。町でも久敬の家は金持ちで、店には五、六人の奉(ほう)公人が働いていました。そのなかに、久敬の友だちである喜助(きすけ)がいました。
喜助は、久敬の家の小作人の子どもで、年貢米(ねんぐまい)のかわりに質物(しちぷつ)奉公人として働きにきていました。久敬は、喜物のお父さんがなんども頭をさげて、お金をかりていく姿(すがた)を不思議に思ってみていました。このころの須賀川は、商業でにぎわっていましたが、農民は、うち続く日照りで、田んぼのいねが実らず食べるものがなく、苦しいくらしをしていました。このようなくらしをみてきた久敬は、貧(まず)しい農民を救うには、田んぼにたくさんの水がくるようにすることだと、考えるよ