須賀川市人物読本 先人のあしあと -039/134page
ちぎわに立って、キラキラ光るさざなみをながめていました。そして、
「お父さん、こんなにいっぱいの水があるのに、どうして須賀川には水がないのですか。たるにつめて運べませんか。」
としんけんに問いかけました。お父さんは、久敬の質問にとまどいましたが、「勉強すればわかる。」と言って久敬を天神さまの方へつれていきました。
その後、この地方では、何回か不作が続きました。そのたびに久敬の家では、たくわえていた米を貧(まず)しい人たちに安い値段(ねだん)でわけてやりました。久敬の家でも、“かでめし”といって、米のかわりに山菜(さんさい)を入れた食べものを食べて食いつなぎました。しかし、小作人や貧しい農民たちは、山菜すら食べられず、物ごいになった者もいました。山に住んでいた木こりは、ひとにぎりのにぎりめしと、自分の娘を交換(こうかん)したというざんこくな話も残っています。
久敬は、このようなことを、見たり聞いたりして、成長していくうちに、これは水不足のためだ、水が欲しいと、強く考えるようになってきました。