須賀川市人物読本 先人のあしあと -040/134page

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 二十一才になった久敬は、お父さんの仕事をつぐことになりました。あるとき、勢至堂峠(せいしどうとうげ)の頂上にのぼりました。そこから見ると、目の前に猪苗代湖が見えました。お父さんにつれられていった、小さいときのことがよみがえってきました。久敬は、その日から毎日夜おそくまで地図を広げ、どうすれば、猪苗代湖からよい水路が作れるか、また、お金はどの位かかるかなどの研究を続けました。

 久敬は、先祖(せんぞ)から受けついできた土地をもとにして資金(しきん)をかり、それでも足りないお金は、地元の有力者に協力を求めました。猪苗代湖から水をひく計画は、いろいろありましたが、須賀川地方にとってもっともよい方法は、斉木峠(さいきとうげ)を通すことでした。

 ところが、この水路は上流の安積村(あさかむら)はよいが、下流の岩瀬(いわせ)や須賀川には、水がこないのではないかと、地元の人々から強く反対されてしまいました。

 久敬は、反対の多い須賀川をあきらめて、郡山、安積の有力者に相談しました。久敬の計画は、湖南(こなん)の浜路(はまじ)をとり入れ口として、斉木峠にトンネルを堀(ほ)り、出口


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