須賀川市人物読本 先人のあしあと -042/134page
しました。しかし、さいごの願いも内務省の役人にとめられてしまいました。久敬はさびしくわが家にもどりました。けれど、そこには、妻や子どもの姿はありませんでした。
明治十二年(一八七九年)政府の手によって、いよいよ疏水工事がはじまりました。久敬は、そのころ無一文となっていました。
わずかに残っていた郡山の荒(あら)池のほとりにある土地に、あばらやを建て、わずかな土地を耕(たがや)し、自給自足の生活をしていました。久敬は、五十七才になっていました。
ある日久敬は、だれにたのまれたわけでもないが、なにか自分にできる仕事があるかもしれないと、開成山の疏水工事のところに出かけました。そこで久敬は、蒸気(じょうき)ポンプを使って地下水をくみ出す作業をはじめて見ました。ポンプの力にびっくりし、文明開化の波が、ここにもおしよせてきていることを強く感(かん)じました。そして、もう自分の時代は終わったとさとりました。