須賀川市人物読本 先人のあしあと -043/134page
明治十五年十月一日、開成山でせい大に疏水通水式が行われました。久敬は、ひと目見たくて近くの疏水路に足をはこびました。「水がきたぞー、水がきたぞー」と田んぼにいた農民たちがさけびました。
水はほとばしるように疏水路に流れ、田んぼに入っていきました。久敬は、この日このときを長年待っていました。この水は、郡山や安積の村々ばかりでなく、やがて須賀川の方まで流れるのもそう遠くはないと思いながら、じっと水路をみつめていました。
それからちょうど二年がすぎました。ある日、久敬は、一通の電報(でんぼう)を受けとりました。それは、思わざる恩賞(おんしょう)の知らせでした。十月一日の通水記念日に宮内省から銀杯(ぎんばい)一組が与えられることになったのです、
久敬は、いつまでも電報をにぎりしめていました。久敬の長い間の苦労が、ようやく政府によって認められたのです、しかし、そのよろこびを離別(りべつ)していた妻や子供たちには分けてやることはできませんでした。