須賀川市人物読本 先人のあしあと -045/134page

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手厚(てあつ)い看護(かんご)もむなしく、七十五歳の生涯(がい)を閉(と)じました。信教坊さんは「わたしの墓(はか)はいりません。墓のかわりに疏水を墓だと思って下さい。」といった久敬の遺言(ゆいごん)を大切にし、遺(い)族の人たちを招(よ)んでりっばな供養(くよう)をしました。

 昭和二十五年には第二安積疏水ができ、岩瀬地方や須賀川にも水があふれんばかりに流れてくるようになりました。そのため、今では、水に苦しむこともなく広々とした水田を安心してつくれるようになりました。

 「あらたのし田ごとにうつる月のかげ」の句碑(ひ)と顕彰碑(けんしょうひ)が須賀川と郡山に建てられました。小林久敬の遺徳(いとく)は後の世にいつまでも語りつがれることになりました。


 久敬はこうして安積疏水の開通に一生けん命力をつくしましたが、須賀川には皆さんが知っている浜田用水路の改修(かいしゅう)につくした遠藤猪野右衛門貴休、大峰得三、滑川用水路を改修した桑名保治たちもおりました。


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