須賀川市人物読本 先人のあしあと -052/134page

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 葉たばこの生産が多く、養蚕(ようさん)もさかんなので、木炭、木材などと合わせて日用品の輸送も大切な仕事だったのです。しかし、荷馬車で輸送しているときいつもこまったことがありました。それは、道路が悪いことでした。道はばがせまい上に、曲がりくねっていること、そして、急な坂道が多いことです、亀五郎は、これからは交通がますますさかんになり、多くの人々も不便をきたすことだろうと考え、村々の戸長や世話人に働きかけては、岩山などを切りはらい、道路のかくちょう、ほしゅう工事を進んでうけおいました。そのころ、とくに小野新町から須賀川への輸送がさかんでしたが、谷田川を通り札木沢(ふだぎさわ)から須賀川に出るまでの道路に難所(なんしょ)がありました。特に江持村は、うら山いったいが岩山で、どこを通るにも苦労するのです。亀五郎は、江持を通り、須賀川に行くため、よいところはないものかと、あちこち調べました。鐘突田(かねつきだ)の東はしの道路から、羽黒池まで、そのけいしゃはそれほど急ではありませんでした。「そうだ、そこに道路ができれば。」と思いましたが、その先にまた岩山がふさがっていました。羽黒神社の岩山


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