須賀川市人物読本 先人のあしあと -069/134page
しかし、こうして保之物の集めた資料や、残した記録は、現在、須賀川市立博物館に保存されています。
その中に、泥面についてのいろいろな資料があります。泥面とは、江戸(えど)時代の子供のあそび道具です。大きさや形は、五・六センチの長方形でいろいろな模様(もよう)や人物などがかかれています。それで勝負(しょうぷ)をすることもできました。現在(げんざい)の紙メンコ(須賀川では、バッタとも言います。)のようなものです。
明治の中頃(釣百十年前)からは、土で作ったものから、鉛(なまり)で作られたものに変わってきました。
保之助が、この泥面をとくにたくさん集めることができた理由を、次のように説明しています。「私は、三つの大きな運に恵(めぐ)まれた。一つには、私の住んでいた浅草には大勢(おおぜい)の子供がいたこと、二つには、そのころ東京の道路や下水道の整備がさかんに行われ、下町地区がほり返されたこと、三つ目には、学校の教え子(ご)や、先生の仲間、人夫(にんぶ)などが協力をしてくれたことです。」