須賀川市人物読本 先人のあしあと -078/134page
ンジンがかからない。やっとなおした時は潮が満(み)ちてあわてて格納庫(かくのうこ)にしまうと一日が終わり。
六か月で卒業など遠いゆめとわかったのは、入校してから三か月ぐらいたったときでした。それでも英二にとっては、楽しい毎日でしたが、次の年に先生がついらく死してしまったのです。
先生と飛行機をなくした日本飛行学校は終わりとなり英二は学校を止(や)めました。人間の運命は、不思議(ふしぎ)なチャンスで左右されます。十七才のとき神田の電気学校に入学し、学費のために考えたおもちゃの特許料がかなり入りました。
おもちゃ会社の工貫を連れて飛鳥山(あすかやま)に花見に出かけたら、隣(となり)の客とけんかになってしまいました。そのとき、ちゅうさいに入って知り合いになった人が天然色(てんねんしょく)活動写真の技師(ぎし)長だったのです。
十八才の少年と三十何才の技師長は、たいへん仲良しとなり、その人の熱心なすすめで英二は、映画会社に入り京都に行くことになりました。