須賀川市人物読本 先人のあしあと -079/134page
英二が、はじめてカメラマン助手として会社に入ったとき、空中さつえいが必要でしたが、それは大変危険(きけん)だったので、カメラマンたちはみな逃げてしまいました。そのとき「ボクにやらせて下さい。」と申し出たのが助手の英二少年でした。
英二が、みごとに成功させたので、いっぺんにカメラマンにおされたという話がのこっています。
円谷英二が特殊(とくしゅ)さつえいの技術を開発しようと思ったきっかけは、なにも怪獣(かいじゅう)映画をつくりたかったからではありません。画家がカンバスの上に、絵筆で表わしていくように、彼も映写の技術を思いきり使って、自由に、思うとおりに、場面場面を創造(そうぞう)してみたかったからです。
広重(ひろしげ)の「江戸名所図絵」に両国橋の夜景(やけい)をえがいた作品があります。彼はこのふんい気や情景(じょうけい)を映画で表わしたいと思って、さまざまな工夫をしました。
その時、日本ではじめて、ホリゾント背景(はいけい)といわれる方法や、透視(とうし)法によってセットやミニチュアが作られました。