須賀川市人物読本 先人のあしあと -088/134page
見ると、まだこのくらいでいいだろうと安心してしまうものだ。レースと言うものは、とちゅうで安心してはいけない。最後(さいご)まで走ることだ」と言って許(ゆる)してくれました。
また、「人は礼ぎを忘(わす)れてはいけない。お前はひとりで大きく育ったわけではない。動物たちや植物も、お前のために役立っている。みんなの力で大きくなったことを忘れるな。草や木にも心があり、その心に対しても礼ぎを忘れてはいけない。」とも教えています。時間を守ることも、きびしいお父さんの教えの一つで、食事の時間におくれることも許されませんでした。
毎日のように田や畑の仕事でいそがしいお父さん。七人の子どもの世話でいそがしいお母さん。その上、両親は毎朝野菜を市場につみ出していたのです。お兄さんたちは、小さい時から家事の分たんをし、円谷選手もお兄さんたちと同じように、自分のことは自分でする習慣(しゅうかん)を身につけて育ったのです。
体つきは小さかったが、とてもがまん強く負けることがきらいな少年でした。