須賀川市人物読本 先人のあしあと -089/134page
小学校の高学年になると、自分から進んでよく勉強するようになりました。両親のすすめもあったが、ソロバンじゅくに行くようになったのもこのころです。大きくなったら銀行員か商社マンになりたい。そのためには、須賀川高校の商業科に入ることが一番だと考えたからです。
そのころの須賀川市の産業は、農業と商業が特にさかんでした。しかし、円谷選手が中学生になったころ、町には次々と大きな工場が建ち工場につとめる人も多くなっていました。友だちの中には、工場につとめを希望(きぼう)する者も多く、円谷選手も高校に行くなら工業科だと考えるようになっていました。あこがれて入学した須賀川高校、入学式が終わると、新入生たちは生徒会からクラブのしょうかいを受け、自分のすきなクラブを選ぶようになっていました。円谷選手は、自信のあるソロバン部に入ろうとしました。しかし、工業科の生徒がソロバン部ではおかしいと気がつきました。
五月もなかばを過ぎてから、ようやく陸上部に入ることになりました。新人部