須賀川市人物読本 先人のあしあと -103/134page
伝右衛門は、自分のかわりに弟の半之助(はんのすけ)を、津田仙の学校に入れ、勉強をしてもらうことにしました。
もう一人の弟久助に中町の家をゆずり、伝右衛門は、アカハゲ山の東に家を建ててうつり住みました。伝右衛門は近くの人たちから畑や野原を買いとり、馬で畑をたがやしたり、羊(ひつじ)をかったりする西洋の農業をはじめました。明治九年のことです。
さいしょは馬鈴薯(ばれいしょ)(じゃがいも)づくりにとりくみました。そのころは日本になかったのです。半之助は津田仙からフランス馬鈴薯を少しわけてもらい、それを伝右衛門に送ってよこしました。伝右衛門は、それをいくつかに切って畑に植え、肥料をやると、思いがけないほどたくさんとれました。馬鈴薯は、寒さに強いじょうぶな作物(さくもつ)です。
伝右衛門は、この馬鈴薯をみんなに植えてもらおうと思いました。そのころ福島県には二十一の郡がありましたが、伝右衛門は全部の郡の役所に馬鈴薯を送り、