須賀川市人物読本 先人のあしあと -111/134page
をかいたり、俳句を作ったり、手づくりの薬を人に分けてあげたり、という自分のすきなくらしをしていた人でした。ですから、子どもにたいしても「女だから」という区別をせず、すきな道を選ばせるという自由な考え方の人でした。
兄の躬治(もとはる)は、東京の大学を卒業して大学の先生となり、歌人(かじん)としても有名でした。妹のテイ(水野仙子)も小説家として世にみとめられた人でした。服部家は、「松明(たいまつ)あかし」で知られる須賀川城主(じょうしゅ)の家来(けらい)、二階堂四天王(にかいどうしてんのう)のひとりでした。母も長沼の武士の子どもでしたから、強い心を受けついだのかもしれません。
さいほう学校を出てからのケサは、ぬいものばかりの仕事に、これでいいのかとぎもんをもちはじめました。妹と同じように文学の道に進みたいと、心がさわぎました。そして、東京の兄のところに、文学の勉強に行きました。そんなときもともと体の弱かった父、母、姉がつぎつぎと病気になったのです。ケサは、須賀川にもどり、一生けん命かん病しました。かん病していたケサは、日ましに「医者になりたい」と思うようになりました。