須賀川市人物読本 先人のあしあと -110/134page

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ます。

 その女の人は、須賀川の生んだ偉人(いじん)、服部(はっとり)ケサです。服部ケサは、世界的に有名な野口英世とほぼ同じ時代の人で、女医さんです。

 そのころの女の人は、ほとんど小学校までで勉強は終わりという世の中でしたから、医者になるのはたいへんなことでした。頭がいいとか、家のくらしがいいとかだけでは、なれませんでした。

 野口英世は、二才のとき、手にやけどをし「てんぼう、てんぼう」とからかわれ、そのことから医者の道を選び、研究していた病げんきんにおかされて世を去(さ)った人です。ケサもまた、医者としての情熱(じょうねつ)は英世に負けないくらい、自分の命をかけて病気の人のためにつくし続け、四十才という若さでなくなりました。

 ケサが医者になろうとしたわけは、いろいろありました。ケサの父真太郎(なおたろう)は「ランプ釜屋(かまや)」といって、ごふくのあきないのほか、燈油(とうゆ)(石油)を売っていました。須賀川の中心地、本町の商店がいの一軒(けん)でした。父は、あきないより、のぼり絵


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