須賀川市人物読本 先人のあしあと -118/134page

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ませんでした。病院に行けば自由がないのです。ですから、ライかん者は、湯の沢からはなれようとはしません。

 ケサは、そのようなかん者の心がわかればわかるほど、「わたしは、やっぱりここへきてよかった。」と思うのでした。

 ケサは、毎日、百人以上のかん者をみました。ライでない病人もきました。ところが、ライの人といっしょではいやといって帰ってしまう人がいました。ケサは、それでは神の心にはずれると考え、午前中は湯の沢の人、午後はふつうの病人と分けてしんりょうしました。

 ケサは、どこへでもおうしんしました。かん者からは、若いが医者としてはうでもたしかだとたよりにされました。そのため、ケサは、たいへんいそがしくなりました。雪の日は、特に苦労しました。四キロ、丘キロのところはあたりまえで、ときには十キロもはなれたところに、山かごにゆられて出かけました。ケサは、おうしんかばんやお産のきかいまで持って、千代子と治りょうにかけつけま


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