須賀川市人物読本 先人のあしあと -119/134page

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した。

 苦しい冬がすぎ、春になったある日、千代子たちと滝尻原(たきじりはら)に出かけました。そこはなだらかな原っぱで、浅間山の白い煙がたなびき、レンゲツツジが、じゅうたんをしきつめたように広がっていました。足もとには、スズランの白い花が咲(さ)きみだれていました。

 「いいかおりね。」みんなそのかおりにうっとりしながらも

 「ここに、ライかん者のいこいの村ができたらね。かん者は心だけでも自由になれるでしょう。」と考えていたのです。

 ケサの仕事は、さらに多くなり、休むひまもありませんでした。心ぞうの弱いケサは、ついにぜんそく発作(はっさ)のためたおれてしまいました。そのうえ、妹のテイや両親がなくなり、悲しみでいっぱいでした。けれど、「わたしをたよっているかん者がいる。」といって、休もうとはしませんでした。さらに、どうしてもライかん者の村を作りたいという夢を実現させたかったのです。だから、馬のゆれにた


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