須賀川市人物読本 先人のあしあと -120/134page
えられなくなると、山かごに乗ってまでもおうしんに出かけました。
千代子は、リー婦人に、「ケサ先生は、休(きゅう)ようしなければ命がありません。」とうったえました。リー婦人は、心配しさっそく、かわりの医者をさがしました。
ケサは、安心して休ようすることができました。そのため、ケサの病気は良くなりつつありました。
そんなとき、夢にみていたスズラン村の土地が、かりられることになったのです。さっそく、病院を建(た)て、スズラン病院のかんばんをかけました。ケサたちは、滝尻原に出かけたことを思い出していました。
それから、三週間たった日の午前、昼前(ひるまえ)まで元気だったケサが、とつぜん心ぞう発作をおこしたのです。そして、スズラン病院ができたのもつかの間(ま)、うそのように神さまのもとに行ってしまいました。
大正十三年十一月、四十才でした。草津での七年間、
「人、その友のために生命をすつる。これより大きな愛はなし。」