須賀川市人物読本 先人のあしあと -121/134page

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の言葉(ことば)どおりのケサの活動は、終わってしまいました。

 かん者たちは、戸の外にあふれ、家のまわりを七重(ななえ)にも八重(やえ)にもかこんで悲しみました。滝尻原に十字かが立てられました。千代子は、その墓の前で、自分の体が雪にうずもれていくのもわからないほど、泣き続けました。

 公立病院の庭にある顕彰碑(けんしょうひ)(ほめたたえる記念碑)は、ケサの人を愛する心を頌徳という文字であらわし、後の世の人に語りつぎたいと、須賀川の杉原文吾牧師さんたちの手で建てられたものです。(昭和三十一年)




注 ハンセン病(癩(らい)病)
大正時代ではなおらない病気でありましたが、
医学の進歩により今ではなおる病気になりました。


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