須賀川市人物読本 先人のあしあと -125/134page
でした。ねっしんな源太郎の努力が実をむすんで、須賀川の牡丹園は、年々有名になっていきました。
さらに源太郎は、牡丹の花ばかりでなく、俳句にも力を入れ、たくさんの弟子を育てました。そのため、より多くの人々に深い尊敬を受けることになりました。
大正時代のはじめ、五月のことでした。ふと見ると、きれいに咲いた牡丹を一本一本ていねいに見ている人がおりました。その人はただ見ているだけでなく、ぼうしをぬいで牡丹に手を合せておがんでいるのです。そのすがたを母屋(おもや)から見