須賀川市人物読本 先人のあしあと -126/134page
ていた源太郎は、ふしぎに思い、その人に、
「なぜ牡丹に手を合わせているのですか。」
とたずねました。すると、その人は、
「わたしは、この牡丹をさかせた人の心をおがんでいるのです。」
という、答えがかえってきました。びっくりした源太郎は、自分が牡丹園の園主であることを名のりますと、その人はうなずいて、
「わたしは、俳句をつくっています。俳句の心と、牡丹を育てる心はにていると思います。わたしは佐久間法師(さくまほうし)というものです。」
と言いました。
そのころの源太郎は、松島(まつしま)瑞巌寺(ずいがんじ)のほかに、那須(なす)の雲照寺(うんしょうじ)というお寺にも行って、禅の修業をつづけておりましたが、佐久間法師の一(ひと)言が強く心にひびいたのでしょう。この日から俳句の道に入りました。このとき源太郎は四十一才でした。俳句の入門にしては、おそい入門でした。