須賀川市人物読本 先人のあしあと -128/134page

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柳沼さんの心のうえでの、そしてけいざい上のご苦労(くろう)はたいへんなことであると思う。柳沼さんは社会の恩人(おんじん)であり、またよい仕事を残していることからみても、尊敬(そんけい)できる人であると思う。」

と書いて、源太郎さんをほめたたえております。

 柳沼牡丹園は、昭和七年文部省からか史跡名勝天然記念物(しせきめいしょうてんねんきねんぶつ)として、指定をうけました。

それは、江戸時代から牡丹のなえを育てることと牡丹の花の優秀さが認(みと)められたからでありました。

 さてここで俳人としての、柳沼破籠子(はろうし)の俳句をふりかえってみましょう。

 大正十一年七月に、俳句を愛する人たち九人で「桔槹(きっこう)」という俳句の雑誌(ざっし)をつくりました。夜籠子はその中心人物になりました。「桔槹」というのは、はねつるべのことです。はねつるべとは、むかしまだ水道のなかったころ、井戸(いど)から水をくみあげるとき使ったしかけのことです。

 つまり、「桔槹」というのは、つねに新しい水をくみいれようという意味があり


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