須賀川市人物読本 先人のあしあと -129/134page
ました。この雑誌は、平成元年の現在でも、約七十年間発行され続け全国的にもめずらしいといわれています。
園主より身は芽牡丹の奴(やっこ)かな 昭和十一年作
この句は胸像(きょうぞう)の台座(だいざ)にきざまれています。「人は私のことを、牡丹園の園主などとよぶが、そんなにおごりたかぶった気持ちにはなれない。愛らしい芽牡丹に心からつかえているものであると思っている」という意味です。この句には、破籠子のけんきょな人がらがよく表われている名句です。
天八月市(いち)に牡丹を売らんとす 昭和四年作
八月というと暑い盛りであります。この暑さの中で心をこめて育てた、牡丹のなえを売ろうとしているのです。源太郎としては、どの牡丹にも愛情をそそいでいたのですから、牡丹のなえを売(う)ることは、たいへんつらいことであったでしょう。それでもけいざい上の理由で、どうしても売らなければならないという、気持ちがよく表われている名句です。