長沼町勢要覧 -028/044page

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特集  [教育、文化の育成]

心から楽しむ。そして

次の創造へ。

熱い想いがエネルギー

何かを創(つく)りたい……そんな熱い想いが心から発せられたとき、 人は、それを実現するための努力を、心から楽しむことができます。 未知なる新たな文化を生み出すのは、 そんな楽しさを知る人々の、熱いエネルギーです。

長沼の初秋は、町全体が祭りの雰囲気に包 まれる。長沼まつり― 色とりどりのねぶた とねぷたを繰り出し、今では二万人の人出で 湧き返る“秋の風物詩”は、ひょんなきっか けから生まれたものだった。

昭和六十年。町に青年団体連絡協議会が結成させ、 「若い力で何ができるか」と模索し企 画された一つが、長沼まつりである。しかし、 なにしろ初めての事で何もない。町内若組の 子供みこし、踊り流しの協力と、須賀川市の ある町内会より譲り受けたねぶたが一基。こ れが最初の長沼まつりであった。「あの頃は、 まちでいろんなことをやってみようという動 きが盛んだったんです」と、長沼まつりに関 わるメンバーは、当時を振り返る。

譲り受けた一基のねぶた、子供の樽みこし、 踊り流し……いろんなものを盛り込んで、そ の中にねぶたがある、という形での最初の祭 りが終わったとき、“もっといいものを創ろ う”そんな機運が高まった。もっと“光り物” のねぶたを増やして華やかにしよう、もっと ハネト(跳人=踊り手)を増やそう、という 声があがったのである。

しかし、そもそも“ねぶた”というものが どういうものなのか、誰もわからない。そこ で「勉強しよう」と、青森まで足をのばした。 ネブタ小屋で、実際に作り方を教わった。毎 年毎年通い続けた。「そこで技術や材料を提供 してもらったのは、大きかったですね」と、 メンバーの一人は語る。そうするうちに、町 内のあちこちから「自分たちも一基出そうか」 「俺たちもつくってみようか」という声があ がり、ねぶたの数は年々増えていった。

まちが一つになる。祭り当日のわず か数時間のために、長い期間の準備を重ねる。そし て祭りの日、ひとときの爽快感を味わう。そ れが素晴らしいのだと、メンバーは口を揃え る。現代の祭りは“つくる側”“見る側” は別なのが普通だ、という風潮がある。長沼 もその例外ではなかったが、それがこのねぶ

ふだんの生活の中でも「これは祭りに利用できるんじゃないか」とアンテナを張っているんですよ。
ふだんの生活の中でも「これは祭りに利用できるんじゃないか」とアンテナを張っているんですよ。

長沼まつり


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