長沼町の伝説 -005/224page
これは、狐のしわざであると思って、このお包みは孫たちの土産だから、おまえたちにやることはで きないぞとひとりごとをいいながら、上産の包みをしっかりかかえて何事もなく家に帰り着いたことが あった、と寝ものがたりて聞かされたことを覚えている。曽祖父は酒を呑まなかったせいもあり難をの がれたのであろう。その後、壇九郎狐のいたずらは何も聞いていない。
三、四十年前の話である。街のある部落から上江花に嫁に来た人があった。結婚式も無事終り、嫁様が 膝直しに里に行き、嫁様を送って来た父親は、うす暗くなった帰り道土産を背負って一里壇の辺まで来 たまま行方不明になってしまった事件があった。
嫁さんの部落の人々や江花の人々も総出で捜しまわったが、容易に見つけることができなかった。よ うやく一里壇北側の山の裏にある小さな沼の中で、死体になって見つかった。
当時は壇九郎狐の仕業であるとのうわさでもっぱらだった。この父親は酒が好きだったのでこのよう な難にあったともいわれている。
(話者 加藤忠太郎)
一里塚の寝狐 《下辻花》
長沼の西、江花に行く途中に、一里塚があった。ここに狐が住んでいて、夜になると塚より出て、往 来の人を迷わしたといわれる。この狐は人を化かす時、「寝だか、寝だか」というので誰いうとなく、一 里塚の寝狐と呼ぶようになった。