長沼町の伝説 -008/224page

[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

 沼もあり、沼の主は、八岐の大蛇の親類の八口大蛇で、八つ口を持った大蛇は夜ともなれば、山に出 て兎や鳥を喰って住んでいた。長い年月にわたり、大量の食物を必要とした大蛇はいつしか食物が不足 となり、遂に人里に出て来て食物を探し鶏など捕って喰っていた。次第に被害も大きくなり、困った村 人たちは、遂に狩人を集め、相談して、鉄砲で撃殺すことになり、二月八日実行の日と定めた。

 その日になり、身じたく準備充分に整い、沼の淵に狩人が集 まり持参の鶏八羽を餌に沼の淵に置いて、今や遅しと八ノ口大 蛇の出るのを待っていた。

 丑の刻ともなると居眠りの出る頃、沼より大蛇の姿が現われ れた。「ソーレ」という合図と共に一斉に発砲した。どんどん打 ち出す弾丸が数発命中した。荒狂った大蛇は、沼の水深く飛沫を あげて姿を消し、沼の水を全部呑干したという。

 沼の水を利用した水田は作付けができず、遂に大豆を蒔いた といわれる。今でも空池と呼ぶ池があり、水のなかった地区を 水無と呼んだ。

 今も、八ノ口・大林・水無・空池という地名が残っている。 現在、沼は土手を築き、土を盛りあげて、大きな池となってい る。

        (話者 菅野精一)

八ノ口池
八ノ口池


[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

掲載情報の著作権は長沼町教育委員会に帰属します。
長沼町教育委員会の許諾を受けて福島県教育委員会が加工・掲載しています。