長沼町の伝説 -019/224page
それからは、畑にはジシバリといって、むしってもなかなか消えない草が生えた。田にはビルモ(ヒル ムシロ)といって、取っても取ってもなくならない草が生えた。ドスンボとは癩病の事で、わが国にも昔 は多かった。
(話者 小針 平)
地蔵杉の由来 《志茂》
志茂日向屋敷の西に、盆栽のような形をした杉の大木がある。樹高二七・四メートル、根廻り九・六 メートル、目通り七・三メートルで、町の天然記念物に指定されている。
その昔、聖武天皇十三年、憎行基が奈良の大仏建立の勧進のため、東北地方に下った折、この地に八 幡大菩薩を勧請して、地方の護りとした。その時、行基が手植えした杉といわれている。
傍に、八幡山護国寺を建立して、弟子行認を居住させて、国家鎮護の大道場として、衆生滅罪の祈願 読経を修めたという。行認を葬った所を行認塚、桜堂といまに地名が残っている。
のちに杉の根元に、地蔵尊を祀ったので、地蔵杉と呼ばれるようになった。
(「長沼町郷土誌」より)
板木松の由来 《志茂》
昔、志茂村は神事(現在の農休日)が月六回あって、村中に報せるのに板木(四角な厚い板)を使った。