長沼町の伝説 -020/224page
この板木を吊して置いた太い松の木が、観音橋の下流北側の土提(現在の地名関裏四二番地)にあった。
ここは、志茂村のほぼ中心であって、この松の木を、村の人は通称「板木松」と呼んでいた。その後、 板木は火の見櫓などに吊して置くようになったので、いつしか枯れて、今はその跡形もない。
神事は百姓に取って楽しい休みの日であった。これを報せたり、違反者を取締るのは村の若組だった。
若組は村の長男で、十五歳より三十歳までの若者で結成されていた。神事に違反して仕事をすれば、 酒五升、にしん三把を出さなくてはならない規則であった。若組も、娯楽機関の少ない時代だったので、 神事にはよく相撲を取って、楽しんでいた。
(話者 井跡忠兵衛)
甘わらび 《小中》
昔、春先のある日の昼頃、この村に一人の旅僧が通りかかった。遠く旅して来たと見え、くたびれた 様子で、一軒の農家の軒先に立ちより、『旅の者ですが今朝より何も食べてないので、一椀の飯を振舞っ て下さらんか』と頼んだ。
家の中から老婆が出て釆て、『それは、ずいぶん腹へったんべなあ、ひや飯で良かったら喰っていがん しょ』といって飯の用意をした。
しかし、山村の事でお菜は何もなかった。考えて見ると、今朝、山狩り(山菜取)に行って取って来た やじっか(やせた)の細いわらびを思い出した。それをおつけ(お汁)に入れて煮た。