長沼町の伝説 -027/224page
鉱物に関するもの
勢至堂の鉱山
勢至堂の成田山(勢至堂と御代の壇の山)は鋼が沢山出たの で、勢至堂は一時大変にぎわった。鉱山を開いた人は、大阪 の人で桶上専次郎といった。この人は千葉県成田山を信仰祈 願して、その御告げによって鉱山を開いた。一時繁昌した時 は沢山の従業員が住み、勢至堂の屋敷はもちろん一里壇より 水口山通称五郎山まで長屋がいっぱいだった。勢至堂小学校 も生徒が百名ほどいたといわれる
。しかし鉱石を洗った毒が川に流れ、長沼の下まで魚が一尾 もいなくなってしまった。また田圃にも毒が流れ込み、稲も駄目になった所が出た。
後に石川団衛という人に経営が移ってからは鉱石が出なくなって、ついに鉱山は閉じてしまった。
全盛時代に黄金で造った御姿を勢至堂の成田山に納めたが、その御姿も今はないといわれる。すっか りさびれた勢至堂、大雨の降った時など時折、鉱山跡より毒が流れ出すといわれる。
(話者 柏木平歳)