長沼町の伝説 -035/224page

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になった。峠の上り下りの通行人たちは、必ずこの清水を飲んで、旅のつかれをいやしたといわれる。

 明治十七年に、県道の新しい道路ができて、曲り坂がなくなり、清水の上の方は通らなくなったが今 なお清水は変りなく出ている。

        (話者 柏木平蔵)

湯殿の伝説 《勢至堂》

 昔、勢至堂は会津街道の宿場だったので、宿屋と荷物の運搬を業としていたので、勢至堂の人たちは 炭焼きなどしなかった。

 湯口の山に、山から山と渡り歩く炭焼きを業とする人が住んでいた。この人は岩の割れ目から出る水 に入り、仕事のつかれを治していた。これは水でなく自然に湧き出る湯であった。

 炭焼きの山男が別な山に移ってから、村人はそのあたりを探したが、ついに湯の出る所は見つからな かった。しかし、今でも勢至堂には、湯殿、湯口、という地名が残っている。

        (話者 柏木平蔵)


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