長沼町の伝説 -059/224page

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 今はあとかたもなく、絶えることのない沼の御前の清水とともに、六角の地名と六角石を残すだけと なった。ちなみに一角は後牧本の地安養寺に移り住み、その子孫が、今もおられるそうである。

        (話者 桑名四郎)

死人窪 《滝》

 滝屋敷の入口、東の山の窪を死人窪と呼んでいる。昔は度々凶作などが読いて、食物が不足していた ので、六十歳になると、親を山に捨てたといわれる。死人窪に小屋を造り、それに入って、「まつむし鐘」 をチャカンチャカンとならしながら死ぬのを待っていたという。

 孝行な息子があって、親を捨てることができずに、食物を運んでくれた、その親はいつまでも生きてい た。ある時、村人は、殿様より難題をいいつけられた。それは『灰で縄をもぢつて来い』という命令だっ た。村中だれも分からず、困ってしまった。そのとき、その息子はこっそり小屋に行って、親に聞くと、 『それは藁で縄をもぢつて、それを燃やすとできんだ』と教えられた。早速、灰の縄を造って、殿様に持 って行ったところ、よくできたとほめられた。

 年寄は仕事が出来なくて役に立たないようだが、いろいろな経験から物を知っているので大事にしな くてはならないと、それからは六十歳になっても、親を捨てなかったという。 また、一説には、死人窪は、村に来て無縁の者が死んだ時捨てたともいう。

        (話者 江連 栄)


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