長沼町の伝説 -068/224page
今は字寺山にあって、昔この奥に大和山定満寺があったと伝えられ、門前の辺といわれる。江花丹後 清常の植えた大椿が、昭和初期まであった。一面畑で椿畑と呼んでいる。
七、中の森
今、字江花屋敷(上江花)の中ほどで、永禄元年にこの森に石上神社を遷した。この時、植えたと伝え られる樅の大木があって、「永禄樅」と呼ばれていたが、昭和二十二年頃、伐採された。
文久元年、七森の各氏神を、石上神社境内に合祀した。この時の庄屋、鈴木喜右ヱ門。世話人、大木 喜太郎、本間眞作。神主、和田織之亟という。(話者 小柳仁吉)
神屋敷 《滝》
滝屋敷の西の高台を、神屋敷または国造屋敷と呼んでいる。ここはその昔、当地方を治めた。国造建 弥依来命がしばらく住んでいた所といわれる。今の滝屋敷の東の方には部下が住み、中滝、下滝という 屋敷があったといわれる。
建弥依米命は、石背国を治めるため、この地方に来て、西の山に皇太神宮と水神様(水波野目命)祀っ た。ここは今でも石背山と呼び、その旧跡があるといわれる。
石妻山の麓には、命の出身地の石沼神社を遷し祀った。