長沼町の伝説 -071/224page

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安藤内 《小中》

 平藤内屋敷の西北に、アンヅチ(安藤内)と呼ばれている所がある。今は一面の田圃になっているが、昔、 屋敷があったといわれる。一番最後に残った家は、私の先祖の家だという。一軒で、平藤内に移った。 『白河風土記』には、その頃、四軒あったと記録されている。また桙衝城之内の安藤家の先祖は、この安 藤内より出たといわれ、その墓が附近にあるという。昔、城之内の安藤家の子孫たちが、小中山に草刈 に来るとこの前を通る時は、いつも馬よりおりて(下馬)通ったという。

 この墓場はどこだろうか。安藤内の北の山の中腹、旧天王様跡の西に小さな円墳群がある。この前を 通る山道(現在完全な林道)は、城之内、下小中より来る古い草刈道なので、ここではなかろうか。

        (話者 古川 明)

古屋敷 《小中》

 平藤内の西にある一角を古屋敷と呼んでいる。いつ頃屋敷があったのかは分からない。またここに張 り出した山の頂上には広い平らな所がある。ここはおやかつ様(御舘様)のいた所だろうといわれている。

 また山の西の沢はカーズチと呼んでいる。何年か前ここを開田した時、古い鍛冶屋のふいごの口や、 土器などが出てきたので、鍛治内の訛りであろうか。古屋敷の畠からも土器(土師器)が見つかっている。

        (話者 古川 明)


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