長沼町の伝説 -074/224page
徳川家は各地の大阪方関係者を厳しく探索した。そのため、善方氏と別れた名城家の先祖は、八の口 の地に隠住したという。武士を捨て、本名も捨て、一切を捨て百姓になりきって、子孫にも本名は伝え なかった。そのために五月節句には、旗差物の織は最近まで一切立てなかった。のちに天下の名城大阪 城を偲び、「名城」と名乗るようになった。
大正の火災によって炎上し、多くの家宝を失い証拠となるものがなくなってしまった。奥座敷の武具 類が燃えた時の青い炎は、不気味だったと今に伝えている。
八の口の地は名城一族三軒だったが、今は多くの家が集まり一つの集落となっている。
(話者 江連 栄)
水戸藩士となった鈴木家の先祖 《滝》
寛永年問のころ、水戸の領主松平頼房公が滝村の山で鷹刈をやった。その時、大きなオオカミが出て 村人たちは思案にくれていたという。すると、水戸藩が召しかかえていた大阪の残党で大隈帯刀なる侍 が、「それではおれがたいじしてやろう」ということになり、村人たちが人喰坂と呼んで恐れてだれも近 かずかなかった坂に通りかかった。
すると、何十ぴきというオゝカミが出て来て、大隈帯刀にとびかかり、大隈はあまりのおそろしさに たちのいてしまった。