長沼町の伝説 -075/224page
その時であった。滝村の百姓某がとおりかかり、お前さまたちは侍の身でありながらオゝカミも切れ ないのかと言うが早いか、何十ぴきというオゝカミをたちまちのうちに切りすてたのである。
これを遠くで見ていた水戸藩の家老でオグリス十兵衛なる人物に、「これは素晴らしい人物だ。お前 を水戸藩の侍として召しかかえたいので承知してもらいたい」と懇願されて、名前を小田桐新左義照と 名のり、水戸藩の侍となったのである。
その後、小田桐家は水戸藩の家老となり、(一二家老の一人という)三代つかえたという。水戸藩には この小田桐家の墓が現存しているという。
滝部落西にある大隈山は、松平頼房公が鷹刈りをしたおり活躍した水戸藩士、大隈帯刀の名をとって つけたという。なお、小田桐家は滝部落の鈴木某家の先祖であると伝えている。
また、贋刈りをしたという松平頼房公は、元禄年間、長沼藩ができたとき、陸奥国岩瀬郡及び常陸国 内において三万石を与えられていた松平頼隆の父である。
(話者 江連 栄)
小田桐新左義照 《滝》
寛永の昔、水戸の領主松平頼房という方が滝部落西の「鹿の場」というところで、山狩りをした。その 時、水戸様の家臣にて大隈帯刀という侍があり、古イノシシを退治したという。大隈山はこの侍の名を